2013年1月15日 (火)

昭和:対人関係論2013/1/15 outtakes Gray, Gray, & Wegner(2007)

 Leyens et al.(2001)の研究は、次の研究と関連づけて考えるとさらに興味深いかも知れません。

Gray, H. M., Gray, K., & Wegener, D. M. (2007). Dimensions of mind perception. Science, 315, 619.

 この研究、mind perceptionの次元について検討しています。多くの場合、心は一次元的に解釈され、「あるかないか」で語られます。しかし、この研究によるとそうではなく、主体性(agency)と経験(experience)の二次元に分けて知覚しているようです。
 研究手続は素朴です。13のキャラクターについて、心的能力や好ましさなどについて一対比較の判断をさせました。キャラクターは、生きている人(生後7週間の赤ちゃん、生後5ヶ月の赤ちゃん、5歳の子ども、成人女性、成人男性、植物状態の人、自分自身)や動物(カエル、ペットの犬、野生のチンパンジー)のほか、死んだ人、神、社会性ロボットからなっていました。これをウェブ調査して、因子分析したというわけです。
 その結果、動機的、感情的な経験をするかどうかの経験次元と、自立的、自律的かどうかの主体性次元とが抽出されたとのことです。これらはそれぞれ好ましさと相関があり、1次元に統合できる可能性があります。しかしながら、主体性は、罪の責任を負うべきかどうかに、経験は傷つけたくないかどうかにそれぞれ弁別的に相関することが示されています。
 これらの知見にLeyens et al.(2001)の議論を当てはめてみると、単純には経験次元がさらに還元されたように見ることができます。もしくは、経験次元と、それとは関連するものの同時に主体性次元と関わるような別次元を見いだしたと見ることもできます。Leyens et al.(2001)の研究は、ヒトというカテゴリーの中の話で、Gray et al.(2007)よりも極端に狭い部分の話ですから注意が必要ですが、示唆的な部分があるように思います。

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昭和:対人関係論2013/1/15 Leyens et al. (2001). 心理的本質主義と二次情動の帰属

 相手の心を読み取ろうとするのはどういう場面でしょうか。この問いを言い換えてみると、相手に心を読み取ろうとしないのはどういう場面でしょうか。後者の表現における問いに答えるために、次の論文を検討しました。

Leyens, J. -P., Rodriguez, A. P., Rodriguez, R. T., Gaunt, R., Paladino, P. M., vaes, J., & Demoulin, S. (2001). Psychological essentialism and the attribution of uniquely human emotions to ingroups and outgroups. European Journal of Social Psychology, 31, 395-411.

 研究の前提として、「少なくとも特定の文化圏の人、おそらく文化によらず一般的に人は、情動が二種類に分かれると信じているようだ」という知見があります。ひとつは、一次情動であり、生物学的に規定された基本的な感情です。これらは、ヒト以外の動物も所有すると素朴に信じられています。もうひとつは、二次情動であり、社会的相互作用の一側面を形成するような、一次情動の複雑な組み合わせです。これらは、ヒト固有だと素朴に信じられています。
 「素朴に」という表現を使いましたが、これは、研究上のことではなく、研究者でない人が一般的に信じている、という意味です。一次情動と二次情動の区分は、心理学の研究でも指示されているようですが、二次情動がヒト固有かどうかは議論があるかもしれません。
 さて、今回の研究は二次情動に着目します。この二次情動を備えているかどうかの信念が相手によって異なったりするでしょうか。たとえば、身内をひいきするかのように、我々にはこの手の情動が存在するが、奴らにはないと考えるでしょうか。研究によれば、「イエス」です。ヒトは内集団に対しては二次情動が存在すると考え、外集団には相対的に備わっていないと考えることが指摘されています。
 研究1、研究2では、対立しがちな2つの地域の人を実験参加者にして検討しています。各地域の人たちに、それぞれの人たちを形容するのに一次情動、二次情動がどれくらいふさわしいかを尋ねたのです。その結果、一次情動に関しては内外集団の差は見られなかったものの、二次情動に関しては外集団よりも内集団でふさわしいと考えていました。
 興味深いことに、この傾向は情動の肯定性は関係ありませんでした。否定的な情動においても、二次情動は内集団の方にふさわしいと考えていました。これは表層的な内集団ひいきでないことを意味しています。さらに、居住地域間の地位格差も影響しませんでした。いわゆる「温かさ」「有能さ」の次元の問題が関与しているのかもしれません。
 上記の結果はパラダイムを変えた実験3においても示されています。この研究が持つ意味は大きいと思います。内外集団の対立を促進する可能性があるからです。「あいつらには人としての情感に欠けている」とか「ガサツだ」とかはよく悪口として使われますが、実際にはそうでなくて、言っている本人が見いだそうとしていない、ある種のガサツさを示しているのかもしれません。
 ただし、どのような過程を経てこのような現象が生じるのかは議論の余地があります。また、ひょっとしたらある側面では適応的なのかもしれません。このあたりについてはさらなる検討が必要だと思います。

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2012年12月18日 (火)

昭和:対人関係論2012/12/18 Converse et al.(2008)

 誤信念課題が成人でも難しいことを前回確認しました。それではどういう場合に難しくなるのでしょうか。そして、その理由はなぜでしょうか。それを紐解くひとつとして、次の研究を検討しました。

Converse, B. A., Lin, S., Keysar, B., & Epley, N. (2008). In the mood to get over yourself: Mood affects theory-of-mind use. Emotion, 8, 725-730.
 
 気分誘導によって情報処理方略が変化する可能性は以前より指摘されています(Schwarz, 1990)。肯定気分は、その状況が良好であることを示し、ヒューリスティック方略を導きます。否定気分は、その状況に問題があることを示し、熟慮的なシステマティック方略を導きます。これを誤信念課題に当てはめて考えた場合、自己中心的な視点を調整する過程に気分が影響する可能性があります。否定気分よりも肯定気分の方が調整しなくなるため、誤信念課題に誤答しやすくなると予測できるのです。
 研究1では、気分誘導の後、サリーとアン課題の拡張版を実施してこの予測を確認しています。ここでの従属測定は自己中心的視点に相当する行動選択の生起確率だったのですが、予測を指示する結果が得られています。研究2では、競合選択肢のある伝言ゲームを用い、視線の動きなども含めた行動指標からの検討がなされています。こちらでも、予測を指示する結果が得られています。特に、自己中心的な視点からの回復割合において明確な結果が示されている点は非常に興味深いと思います。明確に調整過程の問題であることをしめしていると思います。
 他者について推測する際、私たちは自分が知っていることを抑制する必要がしばしば生じます。この過程は熟慮過程であると考えられます。今回の研究はこのことを支持していると思います。他方で、この考え方は、前回のApperly et al.(2006)における時間的制約の影響が起きなかったことと対立するようにも思えます。この点に関しては、時間的制約をどのタイミングでかけたのかを再考したり、そもそも再現可能な結果なのかを検討したりする必要があると思います。
 

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2012年12月11日 (火)

昭和:対人関係論2012/12/11 Apperly et al.(2008) 成人における誤信念課題

 mind perceptionに関する研究は、発達心理学分野では古くから検討されています。誤信念課題(Wimmer & Perner, 1983)などはその典型です。誤信念課題での正答は3歳児には困難であるけれども4歳児においては容易である、という知見は教科書には必ず記載されている内容です。
 その一方で、社会心理学領域の知見を紹介するこの講義では、いかに他者の心を読み取ることが困難であるかを強調しているふしがあります。領域で知見が異なっているように思われますが、実際はどうなのでしょう。その点を明確にするために次の論文を検討しました。

Apperly, I. A., Back, E., Samson, D., & France, L. (2008). The cost of thinking about false beliefs: Evidence from adult performance on a non-inferential theory of mind task. Cognition, 106, 1093-1108.
 
 この研究は、誤信念課題、特に推測を伴わない誤信念課題において成人がどのようなパフォーマンスを示すか検討したものです。ただこの研究では、いわゆるサリー・アン課題と違って登場人物が何を考えているか明示されています。そして、サリー・アン問題は課題をそれほど繰り返したりはしませんが(テーマを変えて2,3回ほど)、この研究では同じ形式の問題をたくさん行います。さらには、信念と現実との不一致がない課題を実施し、その成績をベースラインとして用いています。その意味で、教科書的な知見との比較には注意が必要ですが、興味深い結果を示しています。
 まず、正答率が9割前後で、ベースラインとなる課題の成績よりも誤信念課題の方が正答率が低くなります。そして、反応時間も誤信念課題の方が大きくなります。象徴的なのは、反応時間/正答率を指標とした結果で(全問正解にいたるためのコストが示されることになります)、誤信念課題の方がコストがかかる形になっています。
 他方で、このパフォーマンスの差には時間的制約(つまりは、認知的多忙状態)の影響は見られません。もちろん、総じて多忙状態の方がパフォーマンスは下がりますが、ベースライン課題と誤信念課題との間の差に関しては変わらないのです。このことは、著者らの主張では、符号化段階の問題ではなく、表象操作上の問題であることを示唆しています。
 なぜ誤信念課題が困難かについては議論が残りますが、成人でも誤信念課題に対して認知的コストがかかるのだ、というのは興味深い知見です。しかも、今回の研究で用いた課題はもっとも容易な課題のひとつと考えられます。ですから、推論を含むような複雑な課題状況下でエラーやバイアスが大きくなることが予想されます。このように考えると、発達領域の知見と社会心理学領域の知見は必ずしも矛盾しないと思います。

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2012年11月 6日 (火)

対人関係論2012/11/6 outtake: Ames et al.(2008)

 対心知覚では視点取得(pespective taking)がしばしばなされますが、結局はどのようなプロセスなのでしょうか。これに関するfMRI研究があります。

Ames, D. L., Jenkins, A.C. Banaji, M. R., & Mitchell, J. P. (2008). Taking another's perspective increases self-referential neural processing. Psychological Science, 19, 642-644.
 
 手続きは次の通りです。まず、未知の他者の写真を見せ、各人物を想像して文章を書かせます。このとき、実験操作が入ります。その人物になったつもりの一人称か、あくまで他者としての三人称かで書かせるのです。その後、その人物が考えそうなことや、自分だったらどう答えるかの判断課題を行います。さらに、特性評定をさせます。その間の脳賦活状態を測定しました。
 その結果、三人称視点の場合よりも一人称視点の場合に前頭前皮質腹内側部(vmPFC)が賦活していました。先のMitchell et al.(2006)の知見を併せて考えると、視点取得時には、自他表象の「重複」が促されることが示唆されます。この「重複」がどういう意味なのかは、議論が残りますが、視点取得の特徴を示した、良い研究だと思います。

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昭和:対人関係論 2012/11/6 Mitchell et al.(2006)

 前回の講義で、他者の心的状態を読み取るには投射かステレオタイプ視がなされること、その使い分けにターゲット人物との類似性が関与することをみました。このことをもう少し違った形で検討したいと思います。次の論文を紹介しました。

Mitchell, J.P., Macrae, C.N., & Banaji, M.R. (2006). Dissociable medial prefrontal contributions to judgments of similar and dissimilar others. Neuron, 50, 655–663.
 
 類似性の異なる他者や自己について推測している差異の脳活動を測定した研究です。特に前頭前皮質内側部(mPFC)に着目しています。この領域は他者推測時に賦活することが分かっており、特に腹側は、友人や類似他者の推測時に賦活することが示唆されています。この前頭前皮質腹内側部(vmPFC)は、自己関連処理時にも賦活することが示唆されています。ここまでの知見は、Ames(2004a)に代表される、類似他者に対する投射説と一致しています。今回の研究はこれらを同時に検討し、対比しようとしたものです。
 手続は、類似、非類似他者、自分が様々な質問にどのように回答するかを考えてもらい、その間の脳活動をfMRIで測定するというものです。その結果、vmPFCは、非類似他者よりも類似他者や自己に関する判断で賦活し、前頭前皮質背内側部(dmPFC)は、類似他者よりも被類似他者に関する判断で賦活することがわかりました。この結果は、予測に一致するものでした。
 いわゆる「脳科学」の知見ですが、前回のような一般的な実験室実験と連動しています。実際のところ、このように連携しながら研究は進んでいきます。

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2012年10月30日 (火)

昭和:対人関係論 2012/10/30 Ames(2004a) 投射とステレオタイプ視

 人は他者が何を考え、欲し、感じているかを素早く推測しています。この素早い処理、おそらくヒューリスティック的な処理に何が関与しており、どのように使い分けられているのでしょうか。そこで、検討したのが次の論文です。

Ames, D. R. (2004). Inside the mind reader’s tool kit: Projection and stereotyping in mental state inference. Journal of Personality and Social Psychology, 87, 340-353.
 
 著者によれば、人は、他者の心を読み取るための道具を2つ持っています。1つは、投射(projection)であり、もうひとつがステレオタイプ視です。いずれも素早い処理であり、あたらずとも遠からずな結論を導くと考えられます。さて、これらの道具はどのようにして使い分けられるのでしょうか。
 このとき、ターゲット人物と自己との類似性が鍵になると著者はいいます。自分と類似すると知覚するならば、投射を行い、自分の内的状態をそのまま相手に当てはめて考えます。自分と類似しないと知覚するならば、ステレオタイプ視を行い、外集団に対する信念のあてはめを行うのです。
 似ているかどうかが分かる時点で他者推測は終わってるんじゃないの、と言いたいところです。その点については、ごく一部でも類似点を見いだしたならばそれを般化させ、類似性を知覚するのだ、と著者らは主張します。ですから、最初のちょっとしたことで似ていれば、自分と似た人、最初のちょっとしたところで似ていなければ、自分と似ていない人と判断することになります。過度の般化といっていいでしょう。また、類似性判断もヒューリスティック的に処理されているといっていいでしょう。
 研究1,2では、このちょっとした類似性を実験的に操作して、自分を投射するのか、集団に対するステレオタイプを適用しているのかを検討しています。指標は個人内で行った回帰分析の標準偏回帰係数を用い、条件間で比較しています。多変量解析を理解していないと結果の読み取りはつらいかもしれません。研究3では、課題促進効果(Klein et al., 1992)を用いて検討しています。こちらもプライミング効果が分からないと結果の読み取りがつらいでしょう。
 その意味で、難解に思った受講生もいるとは思いますが、重要な知見がもたらされています。我々は道具を使い分けて対心知覚をしており、そうすることで知覚の正確性を向上させていると考えられるのです。同時に発展性も感じられます。ステレオタイプとより一般的な心の理論との使い分けがどのようになっているのか、類似性以上の調整変数はないのかなどの疑問が新たにわいてきます。その後の展開が期待されるところです。

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2012年10月27日 (土)

ジャーナルクラブ 10/20 Guenther & Alicke (2010)

 ちょっと間が空きましたが、10月20日に検討された論文についてまとめておきます。社会的比較を研究されている大久保さんから次の論文の紹介がありました。

Guenther, C. L., & Alicke, M. D. (2010). Deconstructing the better-than-average effect. Journal of Personality and Social Psychology, 99, 755-770.

 平均以上効果(the better than average effect)の生起過程に関する論文です。特に、平均以上効果をあらためて社会的比較の現象であることを確認し、自己高揚動機が自己と平均的他者の判断にどのような影響を及ぼすのかを検討しています。後者は、第二著者であるAlicke博士の長年のテーマですね。

 問題部分では、独立評価と関連評価で予測されうる結果を逐次的に示しています。ここでの独立評価はほんとうに個別に評価した場合と考えています。これに対し、関連評価は社会的比較の過程だと見なされます。一方の評価を考慮しつつ、もう一方の評価をする形になるからです。そこで独立評価と比べて、関連評価の時に自己評価と平均他者評価がそれぞれ同化するのか対比するのかを考えます。近年の先行研究が指示する係留と調整モデルにもとづけば、自己を係留として他者評価が対比されることになります。これに対し、著者らは自己を係留として他者評価が同化すると考えます。根拠として上がるのがSchwarz & Bless(1992)の包含/排除モデルの考え方です。自己と他者が同カテゴリーに属すると解釈されるというのが、前提になります。
 研究1では、まず自己or平均他者を評定させた後、時間を開け、その後、前の評定に重ねる形で残りの平均他者or自己の評定をさせています。同時に評定させる条件も用意して、一般的な平均以上効果の手続きとも対応させています。結果は読み取りづらいですが、著者らの予測「関連評価の際には、自己を係留点として、他者を同化させる」を支持しています。ここでの同化は「個別に行った平均他者評定と比較して、自己と関連づけて評価したときには(自己に近く)肯定的に評定される」ことをもって主張されています。比較基準が混乱しそうですが、悪くない結果だと思います。

 これ以降の研究では、自己高揚動機の影響が検討されます。平均以上効果が自己係留に対する他者の同化として生じるという前提のもと、自己高揚動機の影響によって同化が弱まるのだ、と主張します。研究2では、係留となる個別評価を、自分の物or特定他者のものとすることで(実際はいずれも自分の評定値)、自己高揚動機の影響を検討してます。いわゆる他者シミュレーションで、自我関与がないとして古くから用いられる技法です。確かに、自己が係留となった方が同化が弱まっています。
 研究3、研究4では、否定的次元における、いわゆる平均以下効果におけるの検討です。この場合、自己高揚動機は同化を強めると予測されます。そしておよそその通りの結果が得られています。

 平均以上効果が、自己を係留点とし、他者評価を調節するということはそもそも合意されていることです。これに対し、調節過程を同化と対比のいずれにみなすかは、基準をどこに置くかの問題であるように思います。係留点からすれば明らかに対比だし、個別の他者評価と比べれば同化に見えます。実際のところどっちなのか、というのはひょっとしたら生産的でないかもしれません。個人的に注目したいのは、調節過程に自己高揚動機が影響するという点で、平均以上効果と平均以下効果で調整に及ぼす影響の意味合いが異なるというのはおもしろいと思います。「ただ単に他者を卑下しているだけではないか」と言われるとは思いますが。
 しかし、今回の結果をもって、社会的比較全体に話を広げるのはどうなのでしょう。社会的比較の重要な点として、他者を基準として不確実性を低減させるというものがあったように思います。このような自己査定と自己高揚とのせめぎ合いというのが、1980年代あたりの重要トピックであったと思うのですが、そこには何も寄与していない気がします。この部分、改めて考えていかないといけないのでは、と大久保さんにその後を託した次第です(笑)。

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2012年10月25日 (木)

対人関係論 10/23 Galinsky et al.(2008) 視点取得と共感

 mind perceptionと一口に言いますが、その過程は複数に分かれる可能性があり、相互作用場面、特に交渉時に有利に働くものとそうでないものに分かれる可能性があります。今回はその点について検討するべく、次の論文を検討しました。

Galinsky, A. D., Maddux, W. W., Gilin, D., & White, J. B. (2008). Why it pays to get inside the head of your opponent: The differential effects of perspective-taking and empathy in strategic interactions. Psychological Science, 19, 378-384.

 またもやGalinsky博士です(笑)。さて、彼らの主張によると、mind perceptionと言っても視点取得(perspective taking)と共感(empathy)に分けることができます。視点取得は、他者視点から世界を解釈する認知能力であり、他者の行動や反応の予測を可能にする過程です。これに対し、共感は、他者焦点の情動反応であり、他者との感情的結合を可能にする過程です。あれですね、誰かが膝をぶつけるのを見て、なぜか一緒に「痛!」ってなるやつ。ちょっと低次な例ですが、もう少し複雑な情動に対しても生じると考えられています。

 さて、様々な動機がうごめく交渉時にはどちらが有利に働くでしょうか。Galinsky博士らは、視点取得が共感よりも有利に働くと予測します。これは、彼らが視点取得の研究者だから、というのもあるかもしれません。いやいや、そうではなく、利己と利他の妥協点を見いだすことが交渉時には重要で、この妥協点をみいだすのに視点取得が働くだろうと考えています。そして、経済的に満足できる結果を保証するには、認知的な理解の方が重要だろうとしています。これに対し、共感は他者に利する形をとりやすく、不利に働くことになるとしています。なんか多分にフォークサイコロジーに依拠した予測のようにも思えますが、研究はこれを支持していきます。

 研究1は、Davis(1980)の尺度を用いた個人差研究で値引き交渉を題材に使っています。この題材は、価格以外のところで両者の利害が一致するところがあり、これを利用することで合意に至ることが可能、という設定になっています。従属変数はこのような合意に至れるか否かです。結果としては、視点取得が有利に働く一方、むしろ共感が不利に働くかたちになっています。

 研究2は、視点取得と共感を実験操作しています。ここでの実験操作は、「相手がどんな感情を感じるか考えてみよう」だとか「相手が何を考えているか考えてみよう」だとか告げることで実現しています。それでOKなのかよ、と思いましたが、それでOKなようです。MBAコースの院生が実験参加者なのですが、日頃そういうことを考えていないのか、といぶかしく思う展開です。結果は、視点取得条件がもっとも合意に達しやすいという結果が得られています。興味深いのは相手側の満足度で、視点取得条件と統計学的な差はないものの、共感条件がもっとも高くなっていることです。少なくとも経済的には十分な結果でないのに、満足している形になっていました。この辺りは、共感の重要な機能と考えることができるかもしれません。

 研究3では、交渉場面をより複雑にしたわけですが、ここでも視点取得が有利に働くことになります。交渉にあたった双方の利益合算も、個人の利益も最大になっていました。これに対し、共感は、利益合算が大きくならない一方で、相手に利する形になっていました。

 3つの研究を通じて結果は一貫していて、交渉時には共感よりも視点取得が有利に働くことがわかります。その実験操作で本当に効くの?とも思うのですが、効果があるんですねえ。このような教示で効果がでるというのは、日頃相手の心を読もうとしていないのではないかという疑問が浮かぶのですが、難しいところです。イエスと言っていいのかもしれませんね。あと忘れてならないのが、今回扱った相互作用場面が「交渉」という一形態だという点です。相互作用の形態には他にもあり得るわけで、その場合にも視点取得が有利なのかは検討の余地があります。

 さらに、交渉時に相手の心を読むことで、むしろ利己的な行動が増えてしまう可能性もあります。これは、相手の利己性を認知した結果、公平、公正な分配が重要だと認識するものの、実際の行動もしくは選択が利己的になるというものです。実は、次の論文でそれが検討されています。授業で紹介すると混乱するかと思ったので、紹介しないことにしましたが、なかなか一筋縄ではない可能性もあるのです。

Epley, N., Caruso, E. M.,& Bazerman, M. H. (2006). When perspective taking increases taking: Reactive egoism in social interaction. Journal of Personality and Social Psychology, 91, 872-889.

 あと、授業をしていての感想なのですが、ひょっとしたら受講生の皆さんは交渉の経験にとぼしいのかもしれないと感じました。確かに利害が対立することがそもそも少ないかもしれません。そこまでがっつかないでもやっていけるし、対立することを是としない教育を受けているからです。いわゆる社会人基礎力とかいってるものの一つは、こういう交渉経験なのかなあと思った次第です。ここは授業とは関連しませんが、素朴な感想です。

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2012年10月23日 (火)

ジャーナルクラブ 10/20 Knowles et al.(2010)

ご縁があって、東洋大で博士号を取得した大久保さん、下田さんと、現在博士課程の小林さんと一緒にジャーナルクラブをはじめました。本来であれば僕が先方に通わなければいけないのですが、年長者なのでわがままを言って、僕の研究室に来ていただいています。大体月イチペースで進める予定です。

さて、記念すべき第一号は以下の論文でした。

Knowles, M. L., Lucas, G. M., Molden, D. C., Gardner, W. L., & Dean, K. K. (2010). There's no substitute for belonging: Self-affirmation following social and nonsocial threats. Personality and Social Psychology Bulletin, 36, 173-186.

タイトルにあるとおり、所属に関する脅威とそうでない脅威(たとえば学業上の脅威)の後に、間接的対処である自己肯定化が行われるかどうかを検討した論文です。古典的な自己価値維持の考え方に基づけば、所属の脅威も学業上の脅威も自己価値を損なう脅威ですから、間接的対処が優先的に行われるはずです。具体的には、所属脅威の後には非社会的な側面の自己肯定化が、学業脅威の後には社会的側面の自己肯定化が行われることになります。これに対し、所属欲求が特異な基底欲求であるならば、自尊心維持の文脈にはのらないかもしれない、と著者たちは主張します。つまり、所属に関する脅威の後には、所属に関する直接対処が行われ、非社会的な側面の自己肯定は行われないと予測するわけです。

ここまでは、ソシオメーター理論なんかの発展系として理解できます。自尊心を維持するってことの基底には所属欲求があるよ、っていうのがLearyの主張なわけで、それにのっかった場合、脅威対処の手段として、非社会的な側面よりも社会的な側面が(間接的であれ、直接的であれ)優先される可能性はあると思います。ただ、著者たちはこういう言い方ではなくて、自尊心維持と所属維持が関連するけど別体系だというニュアンスで語っています。なぜそう言うのか、よくわからないです。別体系として捉えた場合、非社会的な間接的対処は生じないと予測することになると思うのですが、副次的に生じると考えているようだし、理論的な不明瞭さを感じます。

4つの研究で共通した知見は、知性脅威の場合よりも所属脅威の場合に同一領域での直接的自己肯定化が好まれるというものです。逆に、異なる領域での間接的自己肯定化は所属脅威の場合よりも知性脅威の場合に好まれていました。この交互作用効果は予測とある程度一致するのですが、問題もあります。選択の自由度が高い実験(実験2、実験3)では、一般的に直接的な対処よりも間接的な対処が好まれています。これは、古典的な自己価値維持のための自己肯定化の典型的な特徴を示していることになります。この結果が、所属脅威の優位性を脅かすわけではないと思いますが、自尊心維持と所属維持を別体系とする考え方とは合致しない気がします。このあたりの不明瞭さを解決するような研究を行わないといけないと感じます。

あと、今回、所属領域と知性領域との対比で、直接、間接を語っていますが、これは大きな対比です。所属領域において、ひとつの関係性の脅威に別の関係性を持ち出すということがありえますし、知性領域においても、ひとつの分野の脅威に別の分野での優越を持ち出すということもありえます。このような小さな対比を扱えていないところがあって、その辺りで結果を曖昧にしている部分があるようにも思います。

じゃあ、どうするのってところはすぐには思いつきません。考えてみます。

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